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2012年9月

2012年9月30日(日)

 新党「日本維新の会」(代表橋下徹大阪市長)について「維新人気に陰り、目玉公約『地方偏重』批判」という新聞報道がある。
 「こうした『陰り』」の原因は政策にあるとの見方が出ている。同党は次期衆院選の目玉公約に消費税の地方税化や、衆院議員定数の半減などを掲げたが、地方税化には「地方偏重」定数削減には「人気取り」といった批判があり、実現性が乏しいと指摘されているからだ」(読売新聞4面)この記事にうなずく人は多いのではないか。
 橋下市長の存在感、発信力は目覚ましいものがあるが、日本維新の会に移った自民党、民主党、みんなの党に所属していた人は、「明日の日本より、明日の自分で精一杯。何とか当選するために、橋下人気にすり寄っているのではないか」という声も私の元にはよく届く。
 日本維新の会は、次回衆院選挙には、350人擁立すると日頃話しておられるが、立候補者が決まった段階で、国民の見る目は、もっとしっかり冷静に、かつ厳しく見ることだろう。
 いずれにせよ、新党大地は「大地に還り、大地に学ぶ」の理念をしっかり打ち出し、声なき声を受ける止める政党でとしての役割を果たして参りたい。
 12時から、岩見沢市で空知管内後援会役員会。18時から留萌市で留萌管内後援会役員会を開く。来るべく総選挙における新党大地の基本的考えを説明し、理解を得る。
 両会場とも、出席者から「北海道10区で候補者を出すべきだ」という意見が沢山出た。私から「選挙の対応については、鈴木宗男に一任を戴きたい」と申し上げると、満場一致で了解して戴く。
 いつ選挙があるか、よくアンテナを立て、情報戦に負けないよう、神経を張りながら、最善、最良の判断をしてゆく決意である。

鈴木宗男

2012年9月29日(土)

 毎日新聞週1回掲載の岩見隆夫さんの「近聞遠見」は楽しみなコラムだったが、残念ながら今回で終了との事。最後の岩見隆夫先生の「60代はどこにいった」をじっくり読ませて戴いた。読者の皆様にも全文ご紹介したい。

 指導者の年齢にこだわってみる―。
 民主、自民両党の党首選が終わった。名乗りをあげた民主4人、自民5人、計9人の候補者のうち6人が50代、平均年齢は58歳だった。結果は55歳の野田佳彦首相が圧勝して民主党代表に再選、58歳の安倍晋三元首相が激戦のすえ、自民党総裁に返り咲いた。
 政界は<50代リーダー>の時代を迎えた観がある。野田以前の2年間は、民主の鳩山由紀夫首相(就任時62歳)、ついで菅直人首相(同63歳)と自民の谷垣禎一総裁(同64歳)の対立構図、戦後ずっと眺めても<60代リーダー>がほぼ常態とみられてきた。
 ところが、若返りである。これは単純に歓迎していいのか、人材不足とか高齢政治家の無気力とか、変調の兆しととらえるべきなのか。
 過去を少し振り返ってみると、指導者の世代交代を初めて公然と唱えたのは、1980年5月、当時自民党少壮実力者の金丸信だった。太平政権下、泥沼の抗争劇のすえ、憲政史上初の衆参ダブル選挙で浮足立っていた時である。
 金丸は地元の甲府市で、
 「国民に不信ばかり与えている。自民党改革を図るには、いまの派閥の長はすべて退き、世代交代をしなければならない。私は捨て石になる」
 と実力者総退陣論をぶちあげ、驚かせたのだ。金丸が仕える田中角栄も含まれていたから、一種の謀反とも受け取られ、緊張する。当時の派閥領袖(りょうしゅう)は、三木武夫73歳、田中角栄62歳、大平正芳70歳、福田赳夫75歳、中曽根康弘62歳の時代、平均年齢は68歳だった。60代、70代は去れ、と金丸は求めたのだ。
 あとに控えていたのは、安部晋太郎56歳、竹下登56歳、宮沢喜一60歳、渡辺美智雄56歳、海部俊樹49歳、平均年齢55歳である。
 しかし、大平が急死、ダブル選で自民は圧倒し、世代交代論は尻すぼみになる。<三角大福中>の時代はさらにしぶとく続く。シンガリの中曽根が竹下にバトンタッチしたのは、金丸の交代論から7年半を経た87年11月だ。
 あのころ、政争の日々ではあったが、60代、70代のリーダーには覇気と粘りがあった。安易に政権を投げ出すこともなかった。唯一、田中が50代、戦後最年少の54歳で首相になったが、退陣後、
 「若すぎてひどい目にあった」
 と悔やんだ。田中のあと、50代首相就任は、海部、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小泉純一郎、安部、野田と次第に多い。しかし、小泉と現職の野田を除くと、5人とも不本意な途中降板となった。
 なぜか。一概にはいえない。個人差もあるが、国を背負うトップリーダーとして、50代は熟成度が足りない、と思う場面を何度もみてきた。
 首相が適齢はいくつか。戦後の歴代33人の就任年数は平均63歳、参考になる。最高齢は幣原喜重郎の73歳、最年少は安部の52歳だ。
 さて、いまの政界、衆院に63歳以上が与野党で148人、全議員の3割を占める。そのなかからトップをうかがう有力政治家が現れないのが不思議である。
 羽田、森喜朗、福田康夫の3元首相が引退を表明しているが、森は62歳、福田は71歳からこの難行苦行に挑んだ。50代に任せるのは早すぎる。
(敬称略)


 日本人の平均寿命男性80歳、女性85歳である。60代70代働き盛りと言われる時代である。政治家として、それなりの経験のある60歳が活躍、出番がない所に政治の安定感、政治に活力がないのではないか。どの社会、どの組織でもある程度の基礎体力、経験を踏まえてリーダーになっていくものだ。特に政治の世界では重要である。
 自民党政権で小泉政権までは国会議員生活15年で初めて大臣が回って来たものである。総理に手を挙げるのには、25年以上の議員歴を持って、激しい権力闘争を繰り広げたものである。こうした歴史を振り返る時、安倍晋三氏は議員歴14年で、福田康夫氏は18年で首相になり、経験不足で、自ら責任放棄してしまった。
 今ほど、経験と知恵が必要な時はない。与党、野党とも60代の政治家が頑張って、時に指導を、時に機関車となって、国家国民に奉仕して欲しいものである。
 午前の便で札幌に向かい、12時半から札幌ドームで街頭演説。北海道日本ハムファイターズと埼玉西武ライオンズの試合の前で、球場に駆け付ける大勢のお客さんが手を振り、声をかけてくれる。
 「新党大地頑張って」という声援に30分位で終える予定が1時間近く、領土問題、消費増税の話をさせて戴く。北海道でスタートした新党大地は北海道にこだわりながら全国を見まわしていきたい。
 演説後、私も北海道日本ハムファイターズ応援の為、球場内に入る。球場の中でも多くの人から「頑張って」という声がかかる。併せて写真の注文にも喜んで応じる。
 地元はやはり格別の場所である。
 16時半より、札幌足寄会に出席。2年振りに同郷の皆さんとお会いし、故郷(ふるさと)の皆さんの変わらぬ人情に、ただただ感激した次第である。

鈴木宗男

2012年9月28日(金)

 15時5分、国会内の新党大地控室に民主党の新役員が挨拶に来られると言うので、党本部で待機していたら、なんと予定より30分も早くなったという事で、慌てて国会に向かう。
 野田総理・輿石幹事長・安住幹事長代行・細野政調会長・山井国会対策委員長が先に部屋に入られ待っていてくれた。
 私から「国連総会での総理演説は堂々と日本の考え、主張をされ良かったですよ」と申し上げると、総理はニコニコしながら「中国・韓国は翌日、反論してきました」と言われた。
 野田総理を見ていると泰然自若(たいぜんじじゃく)、淡々としておられる。風格、貫録も出て来たと思った。
 尖閣・竹島についても国際世論争奪戦となりますから、日本からの発信も怠りなくと、細野新政調会長に具体的に話をした。特に1997年の日中漁業協定(漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定)を参考にしたら良いと伝える。
 この新執行部で次の国会、総選挙に立ち向かうわけだが、何かしら芯が入って来たと思わせるオーラ、雰囲気を感じた。新たな前進、飛躍を期待してやまない。
 昨日は板橋区で講演の依頼があり下赤塚に出向いたが、今日は東京都立川市で流通業界企業の集まりで講演。
 今年に入って63回目の講演回数である。1ヶ月に7回講演している計算になるが、今現在で12月まですでに7カ所入っている。
 鈴木宗男の生き様、不撓不屈の精神、現在の政治状況、日本を建て直す、再興させるには「情」の政治が必要だと訴えると、皆さん納得してくれる。
 鈴木宗男の発信が出来る事に心から感謝したい。

鈴木宗男

2012年9月27日(木)

 昨日の「鈴木宗男を叱咤激励する会」は大勢の人に参加戴き、大盛会の内に終了することが出来、改めてご協力賜った心ある皆さんに深甚(しんじん)なる感謝をするものである。
 鳩山由紀夫元首相、小沢一郎国民の生活が第一代表、前原誠司民主党政調会長、田原総一郎さん、森喜朗元首相、伊吹文明自民党元幹事長、佐藤優さん各位が、美辞麗句(びじれいく)ではない私とのこれまでの関係、将来についてそれぞれ語ってくれた。
 松山千春さんが発起人代表としていつも通りの千春節で会場を沸かせて下さった。私も心から2年振りの挨拶をする事が出来た。
 原口一博元総務大臣の乾杯の音頭、弘中惇一郎弁護士が挨拶の中で、年内に私の再審請求をするべく発表してくれた。
 中締めは日本相撲協会理事、八角親方(第61代横綱・北勝海)にお願いした。堂に入った三本締めだった。
 午前中、ご挨拶戴いた先生方の議員会館にお礼に伺う。森喜朗元首相、伊吹文明先生が居られ、自民党総裁選挙事情等を伺うことが出来た。
 自民党は自民党なりの様々な課題がある事を知ることが出来た。難しい、厳しい時こそ、腹の据わった信念のある政治家が望まれていると、しみじみ感じたものである。

鈴木宗男

2012年9月26日(水)

 自民党総裁選は、党員・地方票で300票のうち165票を集めた石破茂候補が1回目トップだったが、決選投票(国会議員197人)では、安倍晋三候補108票、石破茂候補89票で、安倍晋三候補の逆転勝ちとなった。
 5人が立候補し、石破さんは、なんと党員の圧倒的過半数55%の支持を受けながら国会議員票で敗れたのは、普段の議員との人間関係が薄かったという事か。また、自民党を出たり戻ったりした、政治家としての姿勢が疑問視されたのか。
 民意よりも、国会議員それぞれの判断で安倍氏を選択した結果であるが、選挙中の各候補の遊説を見ていると、安倍氏の総裁選挙に懸ける裂帛の気合いが伝わり、党員票でも予想を上回り、議員票へとつながったのではないか。
 言葉は「力なりき」と言うが、民主党の代表選挙も、自民党の総裁選挙も政治家それぞれの場面、場所での発信を考える上で、参考にすべきである。
 野田首相の落ち着いた説得力のあるぶれない冷静な話ぶり、安倍氏の果敢な挑戦者としての言いぶり、国会での実りある論戦を期待したい。
 18時から、「鈴木宗男を叱咤激励する会」。昨年は、台風15号の直撃(9月21日)で、電車、飛行機、地下鉄、公共交通機関がストップする事態だった。
 なによりも鈴木宗男本人が収監中で出席出来ない中での開催だったが、松山千春さんはじめ、心ある支援者のお蔭でなんと800人もの人が駆けつけて下さり、無事終える事が出来たが、今年は天気にも恵まれ、何よりも私、本人が出席出来てなんとも言えない喜びであった。
 昨年の分のお礼も兼ねて心からの感謝を述べる。松山千春さんが、いつも発起人代表をして下さるが、松山さんの「人情」「心」に、今日もまた有難いと想いながら「心友」にただただ頭を下げるのみである。
 私は諦めない。「生きていればいい事がある。生きていれば逆転もある」人生、挫折や失望を味わった人に「頑張れ。負けるな」と言うメッセージを送り続けていく。
 私には夢がある。いつの日か「鈴木宗男の背中を見れ」「鈴木宗男の生き様を見よう」と言わしむる日を作りたい。鈴木宗男なりのドラマを展開したいと、あらためて決意を新たにした。

鈴木宗男

2012年9月25日(火)

 日馬富士が、昨日正式に横綱審議会で昇進が決定した。親方と一緒に記者会見する日馬富士の何とも言えぬ笑顔が印象的だった。遅咲きの出世と言われるが、これからが日馬富士の真骨頂(しんこっちょう)発揮の時である。
 第70代横綱、区切りの良い日下開山(ひのしたかいざん)に拍手を送りたい。合わせて日馬富士を応援して来た後援会の皆さんの喜びもいかばかりだろうか。
 いわゆる褌担(ふんどしかつ)ぎの無名の時から応援されて来た人の喜びは、人一倍のものであろう。私も第61代横綱、北勝海を下積みの時から応援して、はれて綱を張った時の気持ちは格別だった。
 日馬富士後援者に、私からも心からのお祝いを申し上げたい。今から九州場所が楽しみである。
 昨日自民党総裁選挙に立候補している安倍・石破・石原・林の4氏は、函館市と札幌市で立会演説会を行い、民主党の対ロシア外交を批判したと新聞に出ている。
 私からすれば、対ロシア外交を壊したのは自民党の小泉政権が誕生してからである。それが今、「空白の日ロ関係10年」と言われている。
 対米一辺倒で、橋本・小渕・森政権と築いてきた日ロの良好な関係が無くなったのである。
 ソ連時代は領土問題がないと言うソ連の主張に、日本は四島一括返還、その上に即時と言う言葉を付けた。
 ソ連が崩壊し自由と民主のロシアになってから、四島の帰属の問題を解決して平和条約の締結と自民党政権は政策の大転換をしたのである。それを踏まえず、勉強しないで共産ソ連時代の主張に戻したのが小泉政権で、近づいた島が離れて行ったのである。
 外交は積み重ねであり、過去の約束諸文書に基づいて行われるのである。この基本を無視しては外交にならない。総裁候補の皆さんも良く歴史を踏まえる事が大事ではないか。
 明日は18時から私の「新党大地・鈴木宗男を叱咤激励する会」である。昨年は収監中で本人不在での会だったが、今年は私、本人が出席できるだけでも有難い事である。
 昨年は台風15号直撃で、JR各線・新幹線・飛行機が止まった中で、800人もの人が駆けつけてくれた事に、堀の中でただただ感謝したものだが、明日は2年分の、いや政治生活30年分のお礼を申し上げたい。
 人間関係で生きて来た鈴木宗男の生き様を示したいと考えている。

鈴木宗男

2012年9月24日(月)

 大相撲秋場所千秋楽、横綱白鵬と大関日馬富士の一番は、夜スポーツニュースを見ながらこれが大相撲だと思わせる大一番だった。
 勝った日馬富士も、負けた白鵬も全力を尽くしたその激闘にテレビを見ながら拍手をしたものである。
 大一番が済み、土俵から立ち上がる前に日馬富士は土俵に額を付けた。土俵の土が日馬富士の額に付いていた。インタビューで土俵の神様に感謝して、額を付けたと淡々と語っていた日馬富士に、何とも言えぬ人としての素晴らしさを感じた。
 23時からのNHKのスポーツニュース優勝力士インタビューで、二場所連続優勝で横綱昇進が確実になり感想を求められたが、まだ決まっておりませんのでとさり気なく交わしながら、今日までの道のりについて、ご両親に、応援してくれた多くの人に心から感謝を述べていたのが印象的だった。
 教科書に載せたい位まとまりのある、人間味のある心豊かな日馬富士の堂々とした語り口に、一緒に見ていた一人娘も感動していた。さわやかな日馬富士の重い一言一言に私も大いに勉強になった。
 この大相撲のように政治の世界も全力を尽くす姿を国民に示さなくてはいけないと思うのは、一人、私だけではないだろう。
 民主党の党役員人事がテレビから伝わってくるが、近いうちの間違いなくやってくる選挙を想定しての登用と思われるが、野田首相はなかなか考えた人事、配置だと私は思った。

鈴木宗男

2012年9月23日(日)

 朝日新聞朝刊1面トップで「内閣試算年11.5万円負担増、消費税10%時年収500万円4人家族、公表予定なく作成」という記事がある。読者の皆さんにも紹介したい。

 野田内閣は、消費税率が10%に引き上げられた場合の家計負担の試算をまとめた。年収500万円の4人家族(会社員の夫、専業主婦の妻と子ども2人)では、消費税の負担が年間11万5千円増加。社会保険料なども含めれば、年間33万8千円の負担増が家計にのしかかる。民間レベルでも同様の試算はあるが、消費増税を進める野田内閣はこれまで具体的な負担増の額を示してこなかった。
 試算は消費増税に批判的な民主党国会議員が消費増税法案の審議中に要求。8月の増税法成立を受け、内閣官房社会保障改革担当相が今月に入ってまとめ、この議員に示した。今のところ公表される予定はないが、消費増税が家計に与える具体的な負担増のイメージを内閣としてまとめたことで、今後の社会保障制度改革や低所得者対策の論議に影響を与える可能性がある。
 消費税率が5%の2011年4月と、税率が10%になったあとの16年4月を比べた負担増額を6パターンの世帯ごとに例示した=図。
 年収300万円の4人家族(会社員の夫、専業主婦の妻と子ども2人)の年間負担は、消費税分で8万2千円、家計全体では、27万3千円増える。公的年金収入しかない75歳以上の高齢者世帯では、夫婦で7万4千円、単身で5万5千円の消費税負担が増える。



 ただ、高齢者世帯の家計全体の年間負担は、夫婦で最大4万1千円増、単身では6千円程度の増加に抑えられる。これは、年金生活者支援給付金(1人年間6万円)を前提としているためだが、支給するための法案がまだ成立していない。
 一方、現役世代の家計全体の負担が大きくなるのは、現行の社会保障制度をもとにしているためだ。年金・医療・介護保険料のほか、住民税年少扶養控除の廃止や子ども手当(1人月額1万3千円)から児童手当(同1万円)に移行したことが反映されている。
 内閣府や財務省が昨年5月にまとめた報告書では、消費増税で低所得者ほど負担が重くなるという逆進性について否定的な見解を示している。それでも社会保障制度改革や低所得者対策が遅れれば、家計への負担は重くなったままだ。
 民自公3党合意に盛り込まれた社会保障制度改革を議論する国民会議は、まだ発足する見通しが立っていない。消費増税に伴う低所得者対策の議論も先送りされた。野田佳彦首相は現金を配ったり所得税を減らしたりする「給付つき税額控除」を主張するが、自民、公明両党は生活必需品などの税率を低くする軽減税率の導入を求めている。


 給料が上がらない状況で、この数字から見て消費が落ち込み、税収は上がらず、経済成長も見込まれず、何の為の増税かという議論が当然出てくるだろう。消費増税に賛成した自民党、公明党には、ブーメラン宜しく大きな国民の反発が返って来ることだろう。
 国会議員の大幅な定数削減、特権的待遇の廃止、国家公務員の2割削減といった国家行政のスリム化を図ると、地方公務員、地方議員の数も大幅に削減する事になっていく。
 先ずは、国から実行することである。そうすることによって国民も増税に理解を示してくれる事になる。優先順位が大事ではないか。
 8時半から帯広で、松緑神道大和山さんのチャリティーバザー開会式に出席し、9時すぎの列車で札幌に向かい、同じく大和山札幌教区のチャリティーバザーに足を運ぶ。世界平和を祈願しての大和山さんの恒例の行事だが、好天に恵まれ、なによりだった。
 仲間の皆さんの輝く奉仕の笑顔に頭の下がる想いである。

鈴木宗男

2012年9月22日(土)

 民主党代表選で野田首相の圧勝を受け、メディアは党役員人事、内閣改造へと話題を移している。
 交通事故防止の為「そんなに急いでどこへ行く」というフレーズが一時期使われたが、メディアの皆さんも、一息(ひといき)二息(ふたいき)も入れて、正しい情報、真実の情報を送る事をお薦めしたい。
 昨日、自民党総裁選挙遊説が沖縄で行われたが、今、問題になっている「オスプレイ」について、石破、石原、安倍、林、各4候補は、普天間配備の是非について誰も触れなかったと報じられている。
 9月9日、10万人(主催者発表)の反対集会、しかもこれは保守系の主催の大会である。にも関わらず、一人として「沈黙は金」を決め込む姿に、沖縄の皆さんは失望した事だろう。合わせて、その程度にしか受け止めていない差別的対応に沖縄県民の怒りは、段々と高まっていくことを心配するものである。
 橋本龍太郎総理が、清水(きよみず)の舞台から飛び降りる決意で実現した普天間の名護移設である。その時の経緯、流れをよく知る者として、普天間飛行場の名護辺野古沖移設、オスプレイ配備は、自民党政権時代の負の遺産である。
 その自民党の総裁候補が、誰一人としてその責任を果たす発言がなかった事に、私も愕然(がくぜん)とするものである。
 朝の便で釧路に向かい、弔問やお見舞いをし、13時半から釧路青年会議所創立60周年記念事業「激論!釧路で言って委員会、目覚めよニッポンジン」の討論会に出席。2時間半、領土問題、日本人のあるべき姿について、ゲストを交え討論する。
 ゲストで来た評論家が、さもさもの様に北海道の事を語る姿には、うんざりした。少々の反発があっても、私は信念を持って言うべきことは言わしてもらった。
 18時から釧路管内新党大地支部・鈴木宗男役員会を行い、来たるべき選挙の対応は、鈴木宗男に一任を戴いた。

鈴木宗男

2012年9月21日(金)

 民主党の代表選挙は、野田首相の圧勝で終わった。政権与党の代表、内閣総理大臣として自信を持って、日本丸の舵取りを行ってほしい。
 今の日本に必要なのは、一寸した優しさと、思いやり、慈しみ、愛情だ。2回目の衆議院選挙で苦杯をなめた事が、得難い経験として何事にも、どんと構える野田首相の大きな力、財産になっていると私は思う。野田首相の大胆でダイナミックな政治を行う事を期待してやまない。
 朝一便で高知から戻り、西宮中国大使の告別式に参列。これから外交官として花も実もと思う時、誰よりもご本人が一番無念だった事だろう。大勢の人が最後のお別れに来ておられたが、返す返すも残念至極な事である。
 共同通信発で「反日デモ組織的動員か。100元もらった参加者も。中国当局の影見え隠れ」(高知新聞20日夕刊2面)と言う見出し記事がある。正確を記す為に全文掲載する。

 【北京共同=大熊雄一郎】中国各地で発生、日系企業を襲撃するなど一部暴徒化した反日デモでは、多くの参加者が統一スローガンの書かれた横断幕を掲げ、「中国共産党万歳」と叫ぶ場面もしばしば見られた。中国政府は「日本は中国人民の声を直視せよ」(外務省)と主張するが、デモの背後には当局の影が見え隠れする。

 「100元(約1200円)をもらってデモに集まった人もいる」。福建省のデモに参加したという男性が打ち明けた。中国シンクタンク研究者は「全国のデモを支援する出資者がいるのは間違いない」と述べ、大規模デモが組織的に行われている可能性を指摘する。

 日本政府が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)を国有化した翌日の12日。抗議デモが行われた北京の日本大使館前からやや離れた場所で、公安関係者がデモのリーダー格とみられる人物に「もっと人を集めろ」と話し掛けているのが聞こえてきた。

 大使館前のデモでは、参加者が「中国の領土は神聖不可侵だ」などと同じスローガンの記された紙を持ち、読み上げる光景も。スローガンの最後には「中国共産党万歳」と書かれていた。

 各地のデモが1972年の日中国交正常化以来、最大規模に膨れ上がった15日。湖南省長沙では赤地に白や黄色の文字で「中国領土の侵犯は許さない」などと書かれた横断幕がやじ馬らに配られていた。同様の横断幕はその後も各地で確認された。

 中国は「デモは領土と主権を守ろうとする人民の強烈な声を反映している」と強調、尖閣国有化に対し、中国政府と国民が団結して抵抗する姿勢をPRしている。

 ただ、長沙のデモでは、参加者が「腐敗官僚を引きずり降ろせ」と記した紙を掲げると、当局者が直ちに奪い取った。反政府、反共産党につながる動きは徹底的に取り締まる姿勢を鮮明にした。



 この記事を読んだ読者の皆さんはどう受け止めるか。「さもありなん」「やはりそうか」と受け止める人が多いいのではないか。
 情報戦に負けない事が国際世論争奪戦に勝つ上で、重要な事がより鮮明になってくる。心して外務官僚は事にあたってほしいと願ってやまない。

鈴木宗男

2012年9月20日(木)

 毎日新聞2面に「4候補そろって反省。自民政権の原発推進政策」と言う見出し記事がある。正確を記すために全文引用したい。

 自民党総裁選に立候補している安倍晋三元首相、石破茂前政調会長、石原伸晃幹事長、林芳正政調会長代理が19日、日本外国特派員協会で記者会見し、自民党政権時代の原発推進政策について、そろって反省の弁を述べた。
 安倍氏は「首相経験者として、安全性を十分確保できなかった。申し訳ない」と陳謝。石破氏も「政治が技術者の主張に耳を傾けなかった。いくら反省しても足りない」と沈痛な面持ちで語った。石原氏も「(東京電力第一原発事故で)多くの人がふるさとに帰れない事態を招いた責任は私どもにある」、林氏も「安全神話に偏って、必要な備えを怠っていた」と述べた。



 町村候補もおそらく右習えしたと思うのだが、今頃になって自民党の総裁候補者が反省するところに、政治がなかったとつくづく思う。
 福島原発事故の時、「原子力発電を推進して来たのは自民党だ。官僚の安全神話を鵜呑みにして来た点、間違っていた。国民の皆さん誠に申し訳ない」と言うべきでなかったか。
 民主党政権を批判してきた自民党に違和感を覚えたものだ。時期を逸したタイミングの悪い反省発言に、何を今さらと思うのは私だけではないだろう。
 今日は国策捜査で命を縮めてしまった佐藤玲子さんの命日である。朝、事務所のかつての仲間とお参りに行く。
 子宮がんの大手術をし、放射線治療のさなかにもかかわらず、東京地検特捜部は逮捕した。一事務職員で、逮捕しても起訴は出来ない。わかりきっているのに政治資金規正法違反で私に対して不利な調書を作るために逮捕したのである。
 人の命までとる捜査をする東京地検特捜部のやり方に、私は憤りを感じている。「私を調べ、命までとった悪い検察官は、良い人生送れません。私は許せません」と言う佐藤さんの声が聞こえて来たような気がした。悪しき権力とは断固、闘うと決意した次第だ。
 夕方、高知に飛び、元参議院議員の叙勲祝賀会に出席。叙勲の栄に浴した事は立派な事であり心からのお祝いを述べる。

鈴木宗男

2012年9月19日(水)

 中国の反日デモが収まらない。野田首相は昨夜テレビ出演し、中国政府に対して反日デモで日本企業や邦人についての被害が出たら、賠償請求を求める考えを示したが、当然である。
 野田首相の毅然とした対応を国民は支持する。あわせて野田首相は日中関係の重要性も十分認識し、チャンネルはもっと大きく広く持った方が良いと、経済界、野党を含めた国会議員の対話の必要性も述べている。
 とってもバランスの取れた判断である。国益の観点からも野田首相のこの考えを支持して行く事が重要である。
 中国外務省の洪磊副報道局長の会見で、反日デモでの日系企業等の被害は、その責任は日本が負うべきと言った事に、いらだちと腹立たしさを感じていたが、野田首相の明快な発言ですっきりした思いである。
 外交は政府の専管事項である。野田首相を支える事が国益である事を等しく考えるべきでないか。
 昼、東京に戻り新党大地の定例会。閉会中の活動、選挙に向けての準備等話し合う。常在戦場の心構えを同志に訴える。

鈴木宗男

2012年9月18日(火)

 中国では、一部暴徒化した連中の略奪、店舗破壊、日本人に対する暴行等、考えられない事が起きている。
 中国当局がきちんと指示すれば抑えられるにもかかわらず、中国外務省の報道官の記者会見をテレビから見る限り、ダブルスタンダードだ。
 日本にいる中国人に今、中国で行われている事を日本が行ったら、中国は何と言ってくるか。ここは日本国民、国会議員一体となって中国に対し厳しく「中国で起きている事は、断じて許されません」と強く発信する事を進めたい。
 民主党代表選・自民党総裁選が行われているが、両党とも候補者自身の運動は中断し、全候補者と全政党の代表者が一堂に会して、中国に真の友好とは何かのメッセージを出し、日本の立場を鮮明にすべきだ。
 自民党も政権を批判するだけでは無責任だ。自民党政権が日中国交回復した時からその後、尖閣は次世代で解決すると言う、鄧小平発言もある。
 1997年の日中漁業協定でも、尖閣における中国漁民に配慮した発言もある。国内で重箱の隅を突く話をしても生産性がない。日本の総意として与党も野党もなく、国益の観点からきちんと日本の姿勢、立場を明確に中国に伝える事である。
 民主主義はどこかで折り合いを付けなくてはいけない。外交には相手がある。原理原則も必要だが、現実も直視しなくてはいけない。政治はトータルでの判断である。
 野田首相のもとに全国民、全国会議員結束して対処する事が一番である事をお互い考えようではないか。
 平壌宣言から10年の昨日、拉致被害者家族の皆さんが記者会見し声明を出している。
 横田ご夫妻はじめ、関係者の胸の内を察するだけでも心が痛む。あってはならない事があった訳だが、一日も早くはっきりさせなくてはいけない。
 10年たって具体的進展がなかったと良く言われるが、何故そうなったかも冷静に考えるべきである。
 外交は積み重ねだ。そこで約束した事は守らなくてはならない。10年前、5人の拉致被害者が一時帰国した際、2週間で帰す約束があったとされる。その約束を日本側が一方的に反故にし、信頼関係がなくなってしまったと言われる。出来ない、守れない約束はすべきでない。この点、この問題に係った安倍晋三氏は、国民に事実関係を正確に情報開示すべきでないか。
 安倍氏は「17日名古屋での遊説で『圧力をかけながら対話に持ち込む努力を続けて行く』と強調した」(産経新聞5面)そうだが、「それならば尚更この10年なぜ進展がなかったのか。その一端に安倍晋三氏の判断が影響していると思われている。説明責任を果たせ」と、私に強く言ってくる人もいた。なるほどと思いながら、外交には相手があるとつくづく考えたものである。

鈴木宗男

2012年9月17日(月)

 総務省は日本の高齢者人口の推計を発表した。その中で「団塊の世代」1947年生れが65歳を迎え、65歳以上が3075万人となり、初めて3000万人を突破している。
 私も1948年(昭和23年)団塊の世代であるが、我々の世代が日本発展の為、それなりの役割を果たしたと思っている。
 同級生の多くは中学を卒業した昭和38年「金の卵」ともてはやされ、東京、大阪へ集団就職の為、臨時列車で故郷を離れていった。
 夜行の貸切列車を大誉地駅のホームで見送り「頑張れ、体に気をつけてな」と声をかけたのを覚えている。連絡のつく者、消息のない者様々であるが、どうしているかと、時々(ときどき)脳裏(のうり)をかすめる。
 定年を過ぎ、人生一段落していると思うが、同級生はじめ団塊の世代に呼びかけたい。「故郷へ帰ろう」と。
 生まれ故郷に、その近くに戻り親孝行、家族孝行、週に一日は近所の手伝い、一日は看護のボランティア、一日は故郷の清掃活動、残りは自分の好きなことに使えばよい。
 団塊の世代が、今一度日本の元気を取り戻すために、お互いもうひと働きしようではないか。半世紀ぶりに故郷に帰って、もう一度、日本の発展に寄与(きよ)しようではないか。右肩上がりでなく、スローライフで故郷の良き文化、歴史を守り、何よりも日本人の心を取り戻す活動をしていこうではないか。
 人生八十年の今日(こんにち)、団塊の世代が果たす役割は、まだまだ残っていると私は思っている。私も頑張る。一緒に故郷に戻って一汗かこうではないか。

鈴木宗男

2012年9月16日(日)

 昨日、自民党の武部勤衆議院議員が、次期衆議院選挙に不出馬を表明した。以前から「次は息子さんにしたい」という声が、本人サイドから出ていたので、時間の問題とは考えていたが、現実となった。
 武部氏が政治家の第一歩をしるしたのは、昭和46年の北海道議会議員選挙で、自民党の公認ももらえず、中川一郎先生の(めい)を受けた私は、武部氏の後援会作り、遊説日程、応援弁士、資金集め等、一人何役もやり、武部当選に尽力したものである。当時私は23歳だった。そして昭和58年の総選挙で、中川一郎先生亡き後、私も武部氏も立候補し、幸いに私は当選出来たが、武部氏は落選だった。様々な出来事が去来(きょらい)する。「ご苦労さんでした。良い引き際です」と声を掛けてあげたいものである。
 民主党代表選、自民党総裁選をどのTV局も扱っているにも関わらず、今一つ盛り上がりが足りない感がする。代表選、総裁選、野田首相以外の候補者はしっかり魂のこもった訴えをして頂きたいものだ。
 中国で日系企業や日本人が大変なことになっている。いつもの中国人のやり方だが、中国の国家権力を持ってすれば、抑えられるし、防止出来ることである。日本政府は、邦人保護に全力を尽くすべきである。
 10時から児童養護施設南藻園の第33回南藻園祭り。
 12時から、9月札幌でのウォーク&トーク。心配した雨も上がり、さわやかな9月晴れのもとで行う。狸小路から大通公園迄、多くの人に出会う事が出来た。私が話し始めると、瞬く間に100人、200人と人だかりが出来、有難い限りだった。
 地道にこの活動をして参りたい。着実に新党大地は、根を張っていると肌で感じる一日だった。





















2012/9/16(日)ウォーク&トークin札幌アンケート結果

鈴木宗男

2012年9月15日(土)

 民主党の代表選に続き、自民党の総裁選挙もスタートした。民主党の代表選挙では、野田首相の出馬は当然だが、原口一博氏が出馬した事で、民主党は救われたと思う。
 野田首相と赤松広隆氏、鹿野道彦氏の三氏の争いでは、国民は全く関心を示さなかった事だろう。四氏の話を聞いても野田首相の国を想う気持ち、原口氏の熱情あふれる語り口はそれなりに響くものがある。野田陣営が有利に選挙戦を進めていると報道されているが、陣営はしっかり気を引き締めて圧勝して欲しいものである。
 自民党の総裁選挙は、四世、三世、二世と見事なくらい、国民の税金で生きてきた人達が候補者になった。要はどれほど生活感を持っているかどうかだ。政治家である前に、人としていかほどの経験、人間味を備えているかが問われる事だろう。五人の中で参議院議員から初めて総裁選挙に出た林芳正氏が「経済の再生」「日本を立て直す」と力強く訴えている姿に、何か光るものを感じた。必ず将来に活きる今回の出馬である。
 自民党総裁選挙といえば、昭和57年を想い出す。鈴木善幸首相の再選確実という流れだったが、中川一郎先生が「党活性化の為にも、総裁選挙をやるべく、同憂の士が得られれば、私も立候補する」と8月31日沖縄でぶち上げ、10月に中国訪問中の鈴木善幸首相は退陣表明をし、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、中川一郎各氏による選挙戦となった。
 当時、国会議員50名の推薦が必要で、今の20人とは違う大きなハードルがあった。中川派はわずか13名しかいなかったが、中川先生と私は、諦めず推薦人を20人近く集め、足りない人数を福田派の参議院議員を借りて立候補にこぎつけ、世間をアッと言わせたものである。
 選挙戦は、13人の国会議員しかいない中川先生が、勝負には負けたが、選挙には勝ったといえる結果を出した。しかし、翌年1月亡くなってしまう。権力の世界の厳しさを嫌というほど感じたものである。
 民主党、自民党の各候補者は、それぞれ国家国民に命を懸ける、命を預ける決意で、迫力ある論戦を見せて欲しいものである。魂のこもった各候補者の言葉を期待してやまない。
 午前中、新党大地本部で仕事をし、12時半発で千歳に向かい、16時から社会団体の会合で講師を務める。
 18時から、9月北海道大地塾例会。領土問題、民主党代表選、自民党総裁選について述べる。熱心な人が駆けつけて下さり、有難い限りである。


鈴木宗男

2012年9月14日(金)

 14時から野田首相と面会。APEC(アジア太平洋経済協力)での日露首脳会談の成果、12月訪ロについてお話を伺う。
 特にAPECでボランティアの若者500人にビザ発給の要請をプーチン大統領がした事は、野田首相に対する一つのシグナルと考える時、すぐビザを出した事は国益に資する事であり良かった。しかも、来日したロシアの青年が大変喜んで帰国された事は何よりであった。
 日中問題については日中関係の重要性に鑑み、冷静にかつ毅然と対応して参りたいとの事だった。私から1997年11月11日の日中漁業協定(漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定)では、尖閣が日本領であるにもかかわらず、日本政府は日本の法律を中国人に対して適用されないと言う文章になっており、これは中国との間に、尖閣の問題提起をしているようなものだと説明させて戴く。この点どうしてこうなったか、確認する必要があるだろう。
 民主党代表選挙の最中にありながらも、泰然自若(たいぜんじじゃく)とした野田首相の姿からはオーラが感じられた。その気合をもって対露・対中・対韓外交を動かしてほしいものである。

鈴木宗男

2012年9月13日(木)

 昨夕は松下忠洋さんのお通夜、今日は告別式に参列した。眠るようなお顔の松下さんに「おい松下さん」と声をかけたが、厳粛な事実の前には、いかんともしがたい。心からご冥福を祈るのみである。
 私宛に松下さんから「知り合って嬉しかったです。再起して領土問題に力を振るって下さい。平成24年9月9日、松下忠洋」と書かれた松下さんの最後の思いを大事にして私は生きて行く。
 命を懸けてしたためてくれた松下さんを想う時、何とも言いようがない。「松下流の男の美学」と受け止めながら、天国で安らかなるお眠りを念じてやまない。
 人生色々な事に遭遇するものである。同時に生きている、生かされている事に改めて感謝しながら、与えられた人生を(まっと)うしなくてはいけない。
 民主党の代表選が始まり話題になっているが、自民党も候補者が出そろった。
 民主党・自民党それぞれ国会における第一党、第二党であり、選挙結果次第では日本のトップになる立場である。大所高所の深みのある堂々たる論戦をしてほしいものである。
 17時から有楽町で9月のウォーク&トークを行う。多くの人が足を止めて下さり、拍手をしてくれた。地道なウォーク&トークも定着した感がある。しっかりやって参りたい。

有楽町にて 東京ウォーク&トーク①

〔有楽町にて 東京ウォーク&トーク①〕



有楽町にて 東京ウォーク&トーク①

〔有楽町にて 東京ウォーク&トーク②〕



有楽町にて 東京ウォーク&トーク①

〔有楽町にて 東京ウォーク&トーク③〕


鈴木宗男

2012年9月12日(水)

 日本経済新聞7面囲み記事に「韓国大統領『日本、極右主義に』米国務長官との会談で発言」と言う見出し記事がある。正確を記すために全文掲載したい。

 韓国政府高官は11日、李明博(イ・ミョンバク)大統領が9日のクリントン米国務長官との会談で 「日本が極右主義に向かっている」と述べたと明らかにした。「北東アジアの平和のため日本は 極右的な態度を捨てるべきだ」とも語ったという。 島根県・竹島(韓国名・独島)の領有権問題など日韓の懸案に関しての発言とみられる。聯合ニュースが伝えた。



 この発言が事実かどうか政府は、韓国側に確かめるべきである。もし事実ならば、天皇謝罪発言といい李明博大統領は常軌を逸している。
 1965年の日韓交換公文を日本はきちんと遵守してきたが、韓国が一方的に竹島を実行支配して来た。日本政府はこれ以上軽く見られてはいけない。しっかり対応すべきである。
 産経新聞、「産経抄」が目に止まったので読者の皆さんに全文掲載したい。

 昭和58年1月9日早朝、自民党のニューリーダーといわれていた中川一郎氏が急死した。札幌のホテルでのできごとで、初めは「心筋梗塞」とされた。数日後正式に「自殺」と発表されるまで、同僚の政治家、マスコミの誰もが病死であることを疑わなかった。

 「政治家は自殺しない」という定理のようなものが信じられていたからだ。A級戦犯として出頭する朝、服毒した近衛文麿ら特殊なケースを除けば、何かに悩んで自ら命を絶った政治家は憲政史上見当たらない。精神的にヤワであってはつとまらない職業とみられていたのだ。

 昭和30年の保守合同を仕上げた三木武吉は政敵から「愛人を5人も囲っている」と下半身攻撃を受けた。すると「いや違う。6人だ」と動じなかったという。自民党幹事長などをつとめた川島正次郎はどんな難局でも、口笛を吹きながら政界を遊泳していた。

 そうした政治家像があまりに強かったせいでもあった。だが中川氏も「北海のヒグマ」との異名をとっている。強気で豪放な性格で知られ、とても自死を選ぶような政治家とはみられていなかった。一体何が起きたのか、いまだに謎として残されている。

 その中川氏以来、自殺する政治家が急に増えた。10日の松下忠洋金融・郵政民営化担当相は現職閣僚として2人目である。政治家がひ弱になったためなのか、国民が向ける目があまりに厳しくなったためか。恐らくそのどちらでもあるのだろう。

 どんな職業の人であっても自殺は痛ましい。遺族の方にはまことに気の毒である。そうではあるが、領土問題をはじめ今、政治家が取り組むべき仕事は山ほどある。そんな「公」の立場を強く自覚してもらうしかない。



 「政治家がひ弱になったためなのか、国民が向ける目があまりに厳しくなったためか。恐らくそのどちらでもあるのだろう」とあったが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。
 東京新聞朝刊26面「こちら特報部」では松下大臣の自殺を受け「政治家タフでないと…」と言う見出しで記事の中に政治評論家の森田実氏は

 「政治家の不祥事が監視されるのは当たり前。タフでなければ政治家は務まらない。女性スキャンダルが発覚した橋下徹大阪市長は平然と乗り切っている。政治家に不可欠なのはスキャンダルやストレスに耐える能力かもしれない」



 森田実氏の指摘に頷きながらも権力の世界で生きて行く時、時として何かしら大きな力、プレッシャーを感じる事がある。
 10年前、メディアスクラムによる「ムネオバッシング」を経験した時、私も死んだ方がましだと何回か思った事がある。もし一人になっていれば、私もどうなったか判らない。
 家内は平成14年1月末から逮捕されるまでの5カ月間、私を一人にする事はなかった。私の胸の内を読んでいたのである。
 「政治家は強く見えるが意外と気が小さく、弱い人が多い」と私は思っている。私自身、生かされている事に感謝し、生きていける事に手を合わせながら、私の生き様をして参りたい。

鈴木宗男

2012年9月11日(火)

 昨夕、17時過ぎ古くからの親しい政治記者から、松下郵政・金融担当大臣が亡くなったと連絡があった。
 その後、自殺と知らされただただ言葉がなかった。今朝、東京のご自宅に弔問に行き、松下忠洋氏と会う。眠るような松下氏のお顔で「松下さん、どうした」と声をかけるのが精一杯だった。
 奥さんと昔話、様々な想い出話をしながら、薩摩っぽ、男松下を偲んだ。奥様から私宛の松下氏の遺書を戴き涙した。日付は9月9日となっていたので夜にはそれなりの決意をしていたのだろう。何とも悲しい出来事である。
 かつて鈴木・松岡・松下はS・M・Mラインと呼ばれるほど自民党の部会では政策論議をリードしたものである。
 松岡氏、松下氏が現職の大臣でありながら永遠(とわ)の旅立ちをするとは何と言う巡り合せか。「死ぬほどの決意があるなら人生、何とでもなるのではないか」と言うまわりの声を聞きながらも、やはり残念な結果である。
 同時に政治の世界、改めて厳しいものだと痛感する次第だ。10年前メディアスクラムとも言えるムネオバッシングに合いながら、今、生きている、生かされている事に、松山千春さんはじめ後援者、秘書、事務所スタッフ、家内はじめ子供達、家族に心から感謝してやまない。
 松岡・松下両氏の分まで、私は私としての役割、責任を果たして行く決意である。悪しき権力と立ち向かう新たな勇気が沸いてきた。

鈴木宗男

2012年9月10日(月)

 昨日の沖縄県宜野湾市での「オスプレイ配備に反対する県民大会」に新党大地は、横峯良郎参議院議員に代表して出席してもらった。
 私は「配備断固反対」の電報を打った。県民大会には10万人もの(主催者発表)大勢の人が集まり、大変な熱気だったと報告を受ける。
 この大会で一つ注目しなくてはいけないのは、健全な保守陣営が中心となって行われた事である。
 普天間基地を抱える宜野湾市の佐喜眞淳市長が「私は日米安保を容認する立場だ」と明かした上で「オスプレイ配備計画を決して認める事が出来ない」と強く話している姿がテレビに映っていた。
 仲井眞弘多沖縄県知事はこの大会には欠席され「事故原因が究明され、安全性が証明され、県民の不安が払拭されない限り(配備には)絶対に反対だ」とメッセージを寄せたが、会場からは「ふざけるな」「裏切り者」「辞めろ」と不満の罵声が飛んだそうだ。この発言、非難が沖縄県民の思いである事をきちんと受け止め、オスプレイ沖縄配備を中止すべく行動、発信して参りたい。
 朝、6時から千葉県浦安市倫理法人会モーニングセミナーで講師を務める。138人もの熱心な会員が参加され、とっても熱気(あふ)れる会だった。
 「我が人生」と言うテーマで、私の生まれた時から今日(こんにち)までの波乱万丈、天国と地獄を経験した私の歩みを話させて戴く。
 終了後「鈴木さん頑張って」と言う声を沢山戴き、勇気や励みが出てきた。言葉は力なりきである。しっかり鈴木宗男の生き様を示して行きたい。
 15時から民主党代表選挙に立候補された4人の共同記者会見が行われた。野田首相の落ち着いた余裕の主張、受け答え、原口一博氏の挑戦者としてのもの言い、他の2人よりはインパクトがあったのではないか。政権与党としての堂々たる国民を引き付ける代表選を行ってほしいものである。
 自民党総裁選挙では谷垣総裁が立候補を断念した。派閥の代表である古賀会長の理解を得られなかった事に端を発し、次第に求心力がなくなり、自分で自分の首をしめる結果となってしまった。
 権力の世界、厳しいものである。

鈴木宗男

2012年9月9日(日)

 昨夕、北見市で行われた松木けんこう代議士の「国政を語る集い」に特別ゲストでこられた松山千春さんが次期選挙に向けて踏み込んだお話をして下さり感激した。
 選挙がいつになるかは野田首相の専管事項だが、新党大地代表の私としてはひたすら松山さんにお願いしていくのみである。然るべき時、それは松山さんのご判断にお任せしたい。松山さんの一挙手一投足に私は勿論だが多くの人が期待と希望を持って待っていることだろう。
 昨日のムネオ日記でもふれたが日露首脳会談で北方領土問題について交渉を継続し、12月野田首相が訪ロすることで合意されたが、秋には次官級協議を行うことも決まったので具体的に日本の考えを示すことが問題解決への一歩である。
 実質的対話の中で日本側としてのカードを切っていくことが重要である。総理を支える外務官僚が国益の為、裂帛の気合いを持って取り組んで欲しいと心からお願いするものである。
 昨日は3年ぶりに実家に泊まる。来年春には立ち退きになるので、様々な出来事が脳裏をかすめる。故郷は有難く尊いものだと感謝しながら床に就いた。
 10時半から石川代議士の関係者と次期選挙について打ち合せ、正午から市議会議員の野遊会、14時半石川知裕代議士の政経セミナーに出席し挨拶。16時から十勝の文化であるばん馬の会合に出席。時間刻みで日程を過ごし充実した一日だった。

鈴木宗男

2012年9月8日(土)

 朝刊各紙は民主党代表選に何故、細野氏が出馬しなかったか、出馬出来なかったか、それぞれ書いている。
 昨日の朝刊で朝日新聞だけは「細野氏出馬せず」だったが、他紙は「細野氏出馬へ」の書き方だった。
 いつも言うように、真実だけを報道してくれれば良いものを間違っても責任をとらない。出るか出ないか一刻を争う話ではない。届け出に間に合えば良いものなのに、興味本位で民主党代表選、自民党総裁選が報道されて行く。
 国民も知らず、知らず引きずられて、良い政治ではなく面白い政治へと判断の基準が変わってくる。政治の価値は重く尊いものだと考えてほしいものだ。
 今朝の毎日新聞朝刊、岩見隆夫さんのコラム「近聞遠見」を読者の皆さんに全文紹介したい。

橋下維新の「融通無碍」

 2日の日曜日、思い立って伊豆半島の突端、静岡県下田市蓮台寺の<吉田松陰寓寄処>に出掛けた。再訪である。
 わらぶき屋根の貧相な木造家屋だ。静岡県史跡に指定され、入場料100円。説明員の中年女性が語る。
 「松陰24歳の時です。ここに3日間隠れて、夜陰、相模湾の黒船の様子を探り、ついに決行しました……」
 1854(安政元)年3月27日、松陰は同志1人と小舟で米艦に乗りつけ、「われわれはアメリカに行きたい」と訴えるが、断られた。黒船の本国を実地に知ることが緊急課題と考えたからだが、密航は国禁、紆余(うよ)曲折を経て、59年処刑。さらに9年後、門下生たちが明治維新の扉を開く。
 松陰スピリットは、いささかの私心なく、(おおやけ)のために捨て身になることだった。

 <維新>

 という言葉は当時は使われていない。孔子の編といわれる中国最古の詩集「詩経」のなかにあり、政治体制の一新、つまり革命の意味だ。
 1930年代、軍部急進派や右翼がしきりに<昭和維新>を唱えたが、一新には至らない。この言葉が政治の表舞台に出てきたのは、民主党の初代首相、鳩山由紀夫の所信表明演説だった。
 「日本は140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、いわば<無血の平成維新>です。今日の維新は、中央集権から地域・現場主権へ、国のかたちの変革の試みです……」と鳩山は訴えたが、言葉の空回りの観があった。前後して皮肉な現象が起きる。鳩山のアピールとは逆に、地域から中央に、<維新>がせりのぼってきたからだ。
 いま、政治家が2人寄れば、大阪維新の会が必ず話題にのぼる。まだ次の衆院選の候補者が一人も決まっていないのに、選挙専門家が<維新の当選者は約100人>とはじくのも、異常なことだ。
 評価もマチマチで、長老の野中広務元官房長官は、「維新の賞味期限は2カ月と言ってきた。メディアの注目を浴びることを次々に打ち上げ、矛盾ばかりで、この国をどうするかは言わない。
 メディアが悪いですよ。まだ(中央の)政党にもなっていないのに、持ちあげる。日本の国を狂わせてしまう」(2日の民放テレビで)と手厳しい。野中と同じような懸念を抱く人は少なくないが、賞味期限2カ月は当たらなかった。
 維新旋風は簡単に収まりそうにない。自民党の総裁選に意欲をみせる安倍晋三元首相は衆院選後の自民・維新連携にまで言及して驚かせたが、民主党首脳の一人も、「何度も代表の橋下(徹・大阪市長)さんに会ったが、いい人だ。礼儀正しいし」などと言う。中央政界では維新と橋下に対する高い評価、嫌悪感、恐怖心が混在し、一種異様な空気が広がっている。
 150年ほど前、幕末の鎖国日本も外からの開国要求にさらされ、極度の混乱のなかにあった。これに立ち向かった松陰が処刑の前に残した、
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも(とど)め置かまし大和魂
 という歌はあまりにも有名だ。捨て身の構えがほとばしっていた。<維新>を目指す点は橋下も共通しているが、橋下には捨て身でなく、ポピュリズム的な融通無碍(むげ)が目立つ。


 国会議員、政治家を目指す人は良く読んで参考にして頂きたい。
 11時10分の羽田発で紋別空港に飛び、後援者の弔問。紋別市内廻りをし、18時、北見市で松木けんこう氏の国政の集いに出席。
 特別ゲストとして松山千春さんにも来て頂く。大盛会で松木代議士にとって大きな弾みになる事だろう。しっかりサポートして参りたい。
 ウラジオストックAPECでの日露首脳会談で、野田総理の12月めどに訪露が決まったのは良かった。
 森元首相の訪露についても適切な時期に訪露してもらうとブリーフィングされており、良かった。外交には相手があるので、その積み重ねを着実にして行くしかない。

鈴木宗男

2012年9月7日(金)

 外務省幹部人事が決まった。外務省幹部が話していた通りの布陣で落ち着いている。まさに人心(じんしん)一新(いっしん)、一にも国益、二にも国益、三・四なくて五にも国益という思いで、しっかりやってほしい。
 欧州局長に上月豊久氏が抜擢されたが、ロシアに良いメッセージ、シグナルになることを祈ってやまない。9月8日のAPEC日露首脳会談に期待したい。
 日露関係がしっかりしていた橋本、小渕、森政権時、韓国・中国から特別のアクションはなかった。小泉政権後、対米従属、日露関係が希薄(きはく)になり始めると、韓国・中国から様々な雑音が出てきた。この歴史を見るとき、日露関係の重要性を特に考えるものである。
 新次官、新外務審議官、新局長、とにもかくにも国益優先で職務を全うして戴きたい。
 外務省は、2013年度予算概算要求に、竹島や北方領土について、広報を強化するため、10億円を組み入れているそうだが、竹島のパンフレットも私が質問主意書で何度も指摘し、受理した。
 予算要求では、ホームページ、動画などで領土問題を更に、国民に判ってもらうべく考えているという事なので、満額獲得に向け、協力して参りたい。
 民主党の代表選、自民党の総裁選、水面下でいろいろな動き、さまざまな駆け引きが行われている。
 民主党の代表選に、若手から待望論のあった細野さんが不出馬を決めたが、これは野田首相サイドの情報戦の勝利と私は見ている。
 この結果を見る時、野田首相はなかなかの人であり、首相陣営にはそれなりの参謀、人がいると思った。自信を持って、日本の再興に向かって進んで欲しいものである。
 8時前の新幹線で、くりこま高原駅に向かい、親戚の告別式に出席。
 17時前に東京に戻り、国会内で通常国会が終了したので、新党大地の議員総会。次の国会がいつ始まるか、いつ選挙があってもいいように、松木けんこう、石川知裕、浅野貴博各代議士にゲキを飛ばしておく。合わせて新党大地としての候補者、人選、選挙区張りつけも具体化しなくてはいけない。しっかりやって参りたい。
 総会で、来たるべき臨時国会で特例公債法案が通らないのなら、安住財務相は、政党助成金の交付を見合わせると会見で触れたが、更に、新党大地としては、特例公債法案が成立するまで、国会議員の歳費(給料)、ボーナス、月100万円の文書通信交通滞在費、月65万円の立法事務費、月25万円のJRパス代、航空クーポン、全てを凍結(とうけつ)すべきと決議し、臨時国会が始まったら、各党各派に呼びかける事を決める。
 先ずは、国会議員(みずか)ら、(はん)を示す事が大事であるからだ。自分だけよければよいというのは、身勝手な話なのだから。
 新党大地を立ち上げての初めての通常国会、戦後3番目に長い229日間の長丁場(ながちょうば)だったが、無事終了してよかった。

鈴木宗男

2012年9月6日(木)

 国会開会中にもかかわらず民主党代表選、自民党総裁選へと話が移っている。
 昨年の大震災で被災された皆さん、福島原発事故で避難を余儀なくされている人達の事を考えると、これでいいのかという思いだ。
 代表選、総裁選はルールに乗っ取って粛々(しゅくしゅく)と行えばよい。興味本位で報道する事は、政治を軽くするものである。同時に政治を必要としている人が居る事を国会議員等しく、与党も野党もなく認識すべきではないか。
 スポーツニッポンの連載、鈴木宗男の「我が道」が6回目を迎えた。収監時の私の想い、生まれ故郷、子供の頃の大誉地(およち)の生活等に、たくさんの激励が寄せられる。「鈴木さんの原点を見た想いです」「鈴木さんの故郷に行って見たいです」「ランプ生活と聞いて驚きました」等、反応は様々だが、有難い、心に染みるものである。
 スポーツニッポンは、一日177万部、スポーツ紙では一番の発行部数だそうだ。
 一人でも多くの人が、私の事を知って戴けることは、幸いである。

鈴木宗男

2012年9月5日(水)

 特例公債法案が不成立なら予算執行を抑制しなくてはいけないとし、10月の政党助成金の交付もその対象であると安住財務相は31日、記者会見したが、それに自民党・公明党が反発している。
 国会開会中にもかかわらず、国会を空転させ働かない国会議員の姿に国民はうんざりしている。
 新党大地としては今日の定例会で、特例公債法案が成立しないのなら「政党助成金の交付凍結、更に国会議員の給料、12月のボーナス、月100万円の通信交通滞在費も凍結すべき」と決めた。国会議員が自ら襟を正してこそ、国民の信頼を得るのである。
 自民党・公明党が国民に新たな負担を求める消費増税に賛成しておきながら、特権的待遇はそのまま維持し、国民の税金から戴く給料・ボーナス等諸手当は頂くと言うのでは筋が通らない。ここは新党大地として明確な方向を示し、リードして行きたい。読者の皆さんはいかがお考えだろうか。
 パラリンピックを見ていると障害を抱えながらも一生懸命競技をする姿に、言うに言えない感動や感激を覚える。ひたむきに頑張るその姿勢を政治家は見習うべきでないか。
 「俺が政治家だ。俺が国民の代表だ。」と心して政治活動している国会議員が何人いる事か。長く永田町に居ながら、その時々の色んな数多く政治家を見てきたが、「良く働いている、頑張っている」と感じたのは何時も一割ぐらいだった。
 選挙区に帰ると耳触りのいい事を言い、東京では権力と迎合(げいごう)する政治家が多かった。是非とも国会議員はパラリンピックを見て何かを感じ取ってほしいものだ。感じる事の出来ない政治家は、自ら退場すべきだ。本人が退場しなくても有権者は賢明な判断をして退場させる事だろう。
 私は人一倍働いて来た者として、この点厳しく指摘しておきたい。
 午後の便で千歳に飛び、16時から小樽市で全国蒲鉾青年協議会総会の講師を務める。
 19時から新党大地小樽支部・鈴木宗男小樽後援会会合。3年振りの会に皆さん喜んでくれる。

鈴木宗男

2012年9月4日(火)

 国会が9月8日迄会期が残っているのに、開店休業である。国会が一日空転すると2億円が無駄になると昔から言われたが、この国民の汗と涙の結晶である税金を国会議員は何と心しているであろうか。何とも国民に申し訳ない限りである。
 自民党は解散総選挙と言いながら、今は総裁選挙に汲々としている。この軽さは何処から出てくるのか。自民党、谷垣総裁は派閥の会長である古賀先生に総裁選出馬の協力をお願いしたところ「若い人がいい」と断られたと報道されている。
 野党と言えでも圧倒的国会における第2党の代表が頭を下げるタイミング、これまでの信頼関係が損なわれたと言われ、要請を拒否されるのも珍しい。いや珍しいのは古賀誠先生の類まれなる胆力である。民主主義は信用である。その信用は日頃の人間関係だ。谷垣総裁がどう古賀会長と向き合って来たか、ご自身が良く判る事ではないか。古賀誠先生の毅然たる態度を見ながら、本物の政治家が残っている。若い政治家も人間失ってはいけない、忘れてはいけない「心」「情」を言うものを少しは教わったのではないかと思うものである。
 私自身、天国と地獄を経験したが、それでも今、公党の代表として、政治家として生きて行けるのは人間関係である。何時、どんな時もどんな事があっても「鈴木宗男だ」と信じてくれる人のお蔭である。合わせてそこまで理解されるまで私は人の道を大事にして来た。
 「心友」松山千春さんはよく「ムネオさんには人を信ずる事の大切さを教えられた」と話してくれるが、あの松山千春さんをしてそう言ってくれる事はやはり信頼である。
 智の巨人と言われる「戦友」佐藤優さんもそうである。お互い人としての基本を大切にしてきた。これだけでも私は人として政治家として間違った道は歩いていないと思うものである。
 9月2日付の毎日新聞「オピニオン領土問題」で川口順子参議院議員の記事があったので、私の疑問に対して内容証明を出させて戴いた。以下の文章である。返事を心待ちにしたい。

 拝啓、時下益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
 本年9月2日付毎日新聞12面の記事を拝読いたしました。川口先生はご自身が外務大臣を務められた時期を振り返り、現在の民主党政権下における外交の問題点を指摘されています。私から、いくつかご指摘申し上げ、またご質問したい点がございます。
 川口先生は「民主党政権に代わってからの3年間、一貫性のない外交上の失態が相次いだことが同盟国である米国の失望を招き、諸外国にもつけいる隙を与えたのは間違いない。」と指摘されています。政権交代後、民主党内に様々な混乱があり、それが外交にも影響を与えたことは事実でしょう。しかしその指摘は、自民党政権時、特に川口先生が外務大臣、または外交担当の首相補佐官として仕えられた小泉純一郎内閣以後の外交にも当てはまると思います。
 記事の中で冒頭述べられているように、中国人活動家による尖閣諸島への不法上陸、東シナ海のガス田開発等の問題に、当時の政権、そして川口大臣ご自身はどのように対応されましたか。毅然とした対応を取られましたでしょうか。在上海日本国総領事館員が自殺する事件が起きた時、川口先生は中国側に対して、どのような抗議をされましたか。毅然とした対応を取られたのでしょうか。
 また北方領土交渉については、果たしてどれだけ過去の経緯、歴史を踏まえた、現実的な交渉をされましたでしょうか。
 記事に「北方領土について言えば、私は02年にプーチン大統領と領土について話したが、日露両国いずれも長年の交渉を踏まえて『解決しなければならない』との認識を共有していた。しかし近年は、政局続きの日本の足元を見て立場を一変させたかのようだ。」と指摘されています。
 先生がラブロフ外相と対談した際、長々と日ロ関係の経緯を官僚の書いたメモに沿って話され、ラブロフ外相から「外務大臣になったのはあなたが先だが、外交官としての経験は、私の方がずっと長い」と皮肉を言われたとの情報を、私は得ています。北方領土交渉について言えば、小泉内閣以後、首相自身も、また政権発足当時の外務大臣も甚だ不勉強だったこともあり、著しい停滞を招いてしまいました。それが今、「日露空白の10年」と、マスコミでは言われています。現在の野田首相が、それを立て直そうとされています。この事実を、どうお考えになりますか。
 また竹島問題については、「私も外相在任中に提訴を考えてみたが、韓国の同意は見込めないことなどからやめた。」とあります。同意が見込めなくても提訴をすべきと、私はこれまで130本もの質問主意書を提出する中で訴えて参りました。竹島問題については、まずは日韓間の外交交渉のテーブルに乗せなくてはなりません。そのための努力を、自民党政権時にされてきたのでしょうか。川口先生が外務大臣在任中、韓国側に何度竹島問題を提起されましたか。具体的に教えて下さい。
 「相次ぐ外交失態が隙に」という川口先生のご指摘は、川口先生ご自身に、当時の自民党政権にこそあてはまるものだと考えます。過去の歴史的事実に基づかない見解を披歴し、現政権の品位を貶め、外交を混乱させることは、外務大臣経験者として、または国民の代表であり、良識の府の一員である参議院議員として、行ってはならないことだと考えます。
 また川口先生が外務大臣に就任されていた時、外務省改革の一環として、外務事務次官経験者を大使にはしないと決められました。それは今でも生きているのでしょうか。
 更に、川口先生が外務大臣時代に設けられた、赤いTシャツが賞品として与えられる「川口賞」は、日本外交の強化、日本の国益増進にどれほどの効果をもたらしたのでしょうか。その川口賞は、今も外務省に残されており、受賞者の人選はされているのでしょうか。
 以上の私の指摘、質問に、48時間以内にお答えいただければ幸いです。


敬具

新党大地・真民主代表
鈴木宗男


鈴木宗男

2012年9月3日(月)

 新聞・通信社・テレビ局が世論調査を行うが、たいていは固定電話での調査である。今、携帯電話が圧倒的に多い中で固定電話での世論調査は実態を反映するものだろうか。
 傾向は判るにしても電話を受け取る人は年配者か、もしくは第一線を退き、悠々自適の人が対象となっているのか。この世論調査なるものが一人歩きをして世論が作られる事がある。報道は真実のみを国民に知らせてくれる事が一番である。
 メディアが「公正・公平な社会実現」と良く言われるが、しっかり筋を通して戴ければ良いのである。
 「反権力」とも叫ぶが、メディアは情報がないと仕事にならない。権力側が情報を意図的に特定の会社を遮断してしまうと、ライバル会社に遅れを取ってしまう。
 小泉政権時代、新聞はあの会社、テレビはこの会社、と明確にメリハリ、差を付けて対応していたと良く聞かされたが、私は間違った事実でない検察や外務省のリークにあった者として、いつも思う事は、興味本位の報道ではなく、事実だけを国民に知らせてほしいと願ってやまない。
 朝6時過ぎ車で札幌から帯広に向かい、9時、同級生、梶浦裕吉君の告別式に参列し友人代表として弔辞を捧げる。
 生まれも育ちも大誉地(およち)で、小・中・高と一緒で今日(こんにち)まで人生をお互い歩んできた仲間が旅立って行く事は辛い事である。
 10時20分、帯広発で上京し党本部に入り、取材、お客さん対応で一日がアッと言う間だった。

鈴木宗男

2012年9月2日(日)

 朝日新聞四面に「小沢氏の竹島発言、韓国『誤報』と連絡 東亜日報報道巡り」という見出し記事がある。

 「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が民主党幹事長だった当時の2009年に訪韓した際、自分が首相になれば「(竹島)領有権の主張をやめる」と李明博大統領に述べた、と韓国紙の東亜日報が報じた事について、韓国大統領府は31日、在日韓国大使館を通じて「生活」の東祥三幹事長に「報道は誤りで事実無根。大統領府として確認した」と連絡した。


 これからすると、東亜日報の記事が正確でなかった事が明らかになったが、迷惑な話である。マスメディアは日本でも韓国でも、世界中どこでも正しい報道をして、国民に情報開示、説明責任を果たすことである。今回の東亜日報の間違った報道は、論外である。「国民の生活が第一」の小沢代表はこの点、厳しく東亜日報に抗議し、謝罪文を掲載してもらうべきである。
 毎日新聞の12面オピニオン欄で、領土問題で元外相の川口順子自民党参議院議員が「相次ぐ外交失態が隙に」という見出しで次のように述べている。一部紹介したい。

 「北方領土について言えば、私は02年にプーチン大統領と領土について話したが、日露両国いずれも長年の交渉を踏まえて「解決しなければならない」との認識を共有していた。しかし近年は、政局続きの日本の足元を見て立場を一変させたかのようだ。」


 川口元外相に言いたい。あなたがラブロフ外相と対談した際、長々と日ロ関係の経緯を官僚の書いたメモにそって話し、ラブロフ外相から「外務大臣になったのはあなたが先だが、外交官としての経験は、私の方がずっと長い」と皮肉を言われ、この程度の外相なのかという認識を持たれたと外務官僚から聞かされた事がある。この事実を川口元外相はどう受け止めるのか。なんの実績も上げず小泉首相の時代から今日まで、空白の十年と言われる日ロ関係である。野田首相がそれを立て直そうとしているのだ。身勝手な、又、自分に都合のよい考えは改めるべきである。政治は結果責任である。
 何も結果を残せなかったのであるから、今の政治家の言葉の軽さを改めて知った思いである。

鈴木宗男

2012年9月1日(土)

 読売新聞2面に「容疑者処分言及せず、日本政府「内政干渉」を懸念」という見出しで次のような記事がある。
 「丹羽宇一郎中国大使の車が襲われ、国旗が奪われた事件で、日本政府は中国当局による容疑者処分の内容に具体的な要請は行わない考えだ。中国への内政干渉に繋がる事などを懸念するためで、行政処分の方向となった事についても、事実上受け入れると見られる」これが事実なら外務官僚、政府は、大使車の国旗が暴漢に取られた事実を何と受け止めているのか。日本国に対する挑戦を見過ごしてはいけない。
 処分は国内法で処理せざるを得ないとしても、日本国の威信が損なわれた以上、国家として強く厳しく、日本の立場を主張をすべきである。
 今回の出来事が、逆に東京で日本人が中国大使の車の中国国旗を奪ったら、中国はどんな反応をするか。それを考えると毅然と日本の立場を言うのが外交である。政府の当たり前の発言、主張を望んでやまない。
 全国スポーツ紙、「スポーツニッポン」で今日から「鈴木宗男の『我が道』」がスタートした。30回の連載で(新聞休刊日は読み切りもの)、生まれた時から今日に至るまでの鈴木宗男の人生行路が描かれる予定である。お一人でも多くの人に鈴木宗男の生きて来た歩みを知ってほしいものである。
 一回目の今日は「負けてたまるか『塀の中へ』」と言うタイトルで一昨年12月、収監される場面である。
 人それぞれの人生があるが、私の場合「波乱万丈」とか「天国と地獄」と言うありふれた表現で収まらない生き様だったと思う。
 鈴木宗男の人間味に触れて戴ければ幸いである。
 7時55分、羽田で帯広へ。弔問、法要、お見舞いをし、13時01分帯広駅発で札幌へ。
 17時から石狩管内新篠津村の新党大地・鈴木宗男後援会会合。4年振りの会だったが、変わらざる懐かしい人のお顔にホッとしながら、感謝の気持ちで一杯だった。






鈴木宗男

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