文藝春秋

平成17年11号


巻頭随筆 父の背中 鈴木貴子
(衆議院議員鈴木宗男氏長女)

「すまんな、貴。すまんな」

九月十一日の衆議院選挙開票日の夜、父は私に、こんな言葉を投げかけてきました。選挙に負けたわけでもないのに。

ソファもなく殺風景な十畳のリビングキッチンと、六畳の寝室だけのアパートの一室で、父がポツリと発した「すまんな」のひと言。その言葉の後ろにある思いが、私には余りにも大きく感じられ、身動きさえ取れないような感覚に襲われました。

いつもは大きな声を張り上げ、自分の信念や思いを真剣すぎて少し怖いくらいの表情で話す父なのに。その時の表情は、何だか少し恥ずかしそうで、その後姿も、普段のパワー溢れる背中とは全く違って、無防備に映ったのです。

父が支援者の方々によく使うこの「すまんな」という言葉には、ただ謝っているのではなく、「支えてくれて有難う」という感謝と、「今まで色々心配かけて申し訳ない」という二つの思いが凝縮されていることを、私は知っています。

平成十四年六月十九日、小菅の拘置所へ向かう直前、父は東京の家から留学先のカナダにいる私に電話をくれて、こんな言葉をかけてくれました。「貴、父さんは頑張って帰ってくるから。身体にはくれぐれも気をつけるんだぞ。父さんの事は心配しないでいいから、母さんのこと頼むぞ」。そして最後に、「すまんな。すまんな」。

辛くて不安で、言葉なんか出ないはずなのに、最後まで私たちの心配をしてくれた父の心からの優しい言葉を、今でも私は忘れられません。

今回の選挙前、ショッキングな出来事がありました。とある港町で、父や後援会の皆さんと一緒に挨拶回りをしていたときのことです。一人のおじいさんに、「鈴木宗男を宜しくお願いします」と私が声をかけた途端、「根性を直してから人前に顔を出せ! 汚い人間は出て行け!」と言われたのです。私は頭の中が真っ白になり、ほとんど全ての物が視界からスーッと消えて、そのおじいさんしか見えなくなってしまいました。

ふと気づくと、父は「真実のために頑張っています」と必死に頭を下げていました。

こういう場面に出くわすと、私は足がすくんでしまいます。ですが、もっと怖いのは、すでに人の何倍も苦労して歯を食いしばって耐えてきた父が、また傷つくかもしれないということでした。でも、私の父は、どんなことを言う相手にも、持ち前のバカ正直さと不器用さ全開で、いつもの変わらぬ笑顔と一緒に、分厚い両手でしっかりと握手するのです。

四年前も身にしみて感じたであろう人の冷たさや世の厳しさ。でも、次々とやってくる辛い出来事を吹き飛ばしてくれるのが、支えてくれる皆さんの温かさでした。これが、父の、そして私の原動力でもありました。今回の選挙中も、どこへ行こうと必ず、「貴ちゃん、お父さんの健康管理しっかりお願いね」「この北海道には鈴木さんが必要だ!」「宗男さんをずっと待っていた」と、私の手を力強く握りながら声をかけてくれる支援者の皆さんがいました。「家族だと手伝わないといけなくて大変だねぇ」と言われたこともありますが、私は家族だからという理由だけで父の応援をしたわけではありません。

私の十九年間の人生の中で、今回の選挙期間中ほど「お父さん」を身近に感じることができたことはありませんでした。

小さい時から父は家にいませんでした。帰って来るのはせいぜい月に二、三度。そのときは必ず「次、いつ会えるの?」と聞いていました。

学校の行事も誕生日も、一度も一緒に過ごしたことはありません。選挙になると母も一ヶ月以上家を空けます。母が家を出るときに決まって、お腹が痛くなる時期もありました。寂しい思いも、悲しい思いも、誰にも打ち明けられませんでした。授業参観日に、後ろに並んでいる親を気にしている友達を羨ましく思ったこともあります。でも、私は確かに、父の背中を見て育ってきたのです。

父の後姿に手を振る時間や回数の方が、一緒に過ごす時間よりはるかに長く多い。文字にすると余計に寂しく感じるけれど、でも、私はその背中から、人間として学ぶべき教えをたくさん受けました。

私の父。バカ正直で「暇」やゆったりした時間を過ごすことが無理な、不器用な父。背は小さいけど、その背中は誰よりも大きく安心で温かい父。そんな父を持って、私は本当に幸せに思います。

【文藝春秋 平成17年11号】 より抜粋

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