Tarzan

平成18年7月12日号


俺たち国会有酸素族

 初めて出た市民ロードレースは昭和63年(1988)の根室ノサップマラソンの10kmです、ハイ。北方領土返還運動の一環として外務省が後援している大会で、来賓として行ったわけです。で、挨拶していたら「政治家は口ばっかりだ、態度で示せ」というヤジがとんできたんですよ。なら、やってやろうじゃないかと、シューズとウェアを借りて走ったんです。
 その頃は運動はなんもやってない。ぶっつけ本番。そりゃあ、つらかったねえ。足に血マメはできるし、膝は痛いし。ただ、ヤジを受けて立った意地もあって、根性で走りきった。タイムは1時間3分50秒。あまりの苦しさに二度と走るもんかと思ったですよ。
 でも、気がつくとまわりのランナーの目がスタート前と違うんですよ。一緒に汗を流した親近感だろうね。取り囲まれて握手攻めですよ。政治家ってのは、そういう市民のみなさんの反応が一番うれしいもんなんです、ハイ。
 その翌年はレースの2か月前ぐらいから毎日2〜3km走るようにして54分12秒。
 3年目はジムのマシンで15分から20分走るのを日課にして46分5秒。それ以降はコンスタントに45分前後のタイムが出せるようになりました、ハイ。
 フルマラソンに初挑戦したのは平成6年(1994)。沖縄のNAHAマラソン。この時も当初は走るつもりはなかったんですよ。衆議院の沖縄北方委員長だった関係で開会式に出席したところ、当時の那覇市長から、話題づくりのために100mでいいから走ってくれと言われたんです。「10km45分で走るランナーに向かって、100mだけとはなんだ」と、また反骨心が沸き上がってね。3時間44分40秒で完走しました。
 平成15年には胃がんの手術をして胃を半分以上取りましたがね、その4か月後にはレースに出ました。今も年に7〜8レースは出場してます、ハイ。市民ロードレースに出るのは、健康のため。国会議員は体力勝負だから、たまにはカラダをいじめとかんとね。走るのは確かに苦しい。でも選挙に較べれば楽なもんですよ。
 あたしの場合は出られそうな大会をあらかじめリストアップしておいて、スケジュールが合いそうなら出場を申し込んでしまう。そうすれば突発的な用事がない限り、出ることになるでしょ。これが続けられている秘訣かな。

【平成18年7月12日号 Tarzan】 より抜粋

このサイトの写真・文章などは、手段や形態を問わず複製・転載することを禁じます。
Copyright (C)2000 Muneo Suzuki Office. All rights reserved.